賀名生

賀名生(あのう)
賀名生は、奈良県五條市(旧吉野郡西吉野村)にある丹生川の下流沿いの谷である。南北朝時代(吉野朝時代)、南朝(吉野朝廷)の首都となった地域の一つである。この名はもと「穴太」(あなふ)と書いたが、後村上天皇が皇居を吉野からこの地に移した際に、南朝による統一を願って叶名生(かなう)と改め、さらに1351年(正平6年、北朝の観応2年)、いったん統一が叶うと(正平一統)「賀名生」に改めたという。明治になって、読みを「かなう」から原音に近い「あのう」に戻した。後村上天皇の遷幸より前の1336年(延元元年、北朝の建武3年)12月、後醍醐天皇は京都の花山院から逃れ出てまず穴太に至ったが、皇居とすべきところがなかったので吉野に至ったという。南北朝時代から賀名生梅林が有名であり、明治以降は実を収穫するための植林もされた。さらに、1923年(大正12年)、東宮(後の昭和天皇)成婚を記念して5千本の梅が植林された。現在は柿の生産も盛んである。